大阪地方裁判所 昭和27年(行)14号 判決 1960年8月31日
原告 佐藤雄太郎
被告 大阪府知事・南河内郡美原町農業委員会
主文
一、被告南河内郡美原町農業委員会との間で、別紙物件目録記載の各土地につき、平尾村農業委員会が昭和二六年一二月二〇日に定めた未墾地買収計画を取り消す。
二、被告大阪府知事との間で、大阪府農業委員会が昭和二七年二月二五日になした、右買収計画に対する訴願の裁決を取り消す。
三、訴訟費用は被告両名の負担とする。
事実
原告は主文第一、二項と同旨の判決を求め、その請求の原因として次のように述べた。
「一、被告美原町農業委員会の前身である平尾村農業委員会は、原告所有の別紙物件目録記載の各土地(以下本件土地という)につき、昭和二六年一二月二〇日未墾地買収計画を定めた。これに対し、原告は昭和二七年一月七日、平尾村農業委員会に異議を申し立てたが、同月三一日却下され、さらに同年二月五日、大阪府農業委員会(被告大阪府知事が受け継ぐ前の本訴被告)に訴願したが、これも同月二五日に棄却され、同年三月六日に裁決書を受領した。
二、しかしながら、本件土地はいずれも自作農創設特別措置法(以下自創法という)第三〇条にいう未墾地ではないから右買収計画および訴願の裁決は違法であつて取り消されるべきである。
(一) 原告は別紙物件目録第一記載の各土地(以下これを甲山という)を訴外喜田卯一郎から、同第二記載の各土地(以下これを乙山という)および平尾村字阿弥山三三八四番地山林八畝二一歩を訴外西川善橘からそれぞれ買い受けたものであつて、当初山林であつたが、原告はかねてからこれを農園として開発利用することを計画し、大阪府立農芸高等学校々長宮瀬清氏等の指導協力を得て甲山を果樹園、乙山を畑として利用することに決し、終戦後人夫を入れて開拓に着手した。そして甲山は昭和二二年一二月頃までに開墾事業を終了して果樹園として苗木を植え付ければよいばかりに完成を見、乙山も昭和二一年三月頃から開墾を始めて、昭和二二・三年頃その面積の七割強の開墾を終え、同時に栽培を開始し、残る部分は途中計画を変更して甲山とともに果樹園としたのである。
(二) ところが、昭和二五年一月末頃になつて、本件土地を原告に断りなく占有し耕作する者が現れたので、原告は驚いて事情を調査したところ、その頃すでに乙山および前記字阿弥山三三八四番地の土地は訴外西川善橘の所有地で未墾地であるとして自創法により国に買収されたうえ、多数耕作者に売り渡されたものであること、さらに甲山が乙山の一部であると誤認されて同様他人に売り渡されていることが判明した。しかし本件土地はいずれも前述のように既墾地であつたし、西川善橘は所有者でもなく、買収処分は誤りであるから原告は耕作者等に事情を説明して返還を求めたが耕作者等は「府および地方事務所の指令でやつている」との一点張りで遂には原告に対して「入地禁止」の建札を立てるなど原告の申入を拒絶した。それで、原告はやむなく本件土地から人員を引き揚げる一方大阪府当局に対して誤りを指摘して事態の早急善処方を要請した。その結果府当局においても買収処分の誤りを認めるに至つたのであるが、和解を請われたりして話しがなかなかまとまらず、土地の返還をも得られないまゝに年月が経過して行つた。そしてようやく昭和二六年七月一一日になつて先の買収令書が取り消され、同年一〇月下旬に原告にその旨通知があつた。取消の理由は、既に畑として開墾されていたものを未墾地と誤認したというにあつた。
(三) 右のように、原告は昭和二五年以来、国から売渡を受けたと称する者等に本件土地の占有を奪われてしまい、その後本件土地の耕作を継続することができなくなつたのであるが、一方売渡を受けた者等は本件土地の耕作に熱意を示さなかつたので、昭和二七年頃には本件土地は荒地となつてしまつていた。そこで、原告は、先の買収処分が取消となることが内定して以来早速本件土地の農芸園としての再興を計画し、前述の府立農芸高等学校当局の指導を仰いで、この際全土地を果樹園として利用することに計画を変更し、同校々長宮瀬清氏と具体策を協議し、買収処分が取り消されて本件土地の返還を受けられる日を待つていたのである。そのうちに前述のように買収令書取消の通知を受けたが、その後も本件土地の返還を受けないうちに再度本件買収計画が樹立されたのである。しかも本件買収計画においては、前回はその対象となつていなかつた甲山もその対象とされた。
(四) 以上に述べたところから、本件土地は既墾地であり、未墾地ではないこと明らかである。大阪府農業委員会の原告の訴願を棄却した裁決の理由とするところは、本件土地は平尾村農業委員会が現況を調査して樹立したものであり、現況は未墾地あるいは荒地として放置されているというにある。そして被告等も本件土地は現況未墾地である以上これを買収計画の対象としたことは適法であると主張する。けれども現況未墾地というような概念は自創法上認められていない。土地が一旦開墾された以上は既墾地であつてもはや未墾地たりえない。本件土地のうち、少なくとも乙山については先になされた買収処分が、既墾地を未墾地と誤認したことを理由に取り消されているのに、今度は未墾地として買収計画を樹立するというようなことは矛盾も甚だしい。しかも本件土地は立派な果樹園、あるいは畑であつたのに、府知事は先にこれを誤つて買収し、あるいは買収の対象でない部分(甲山)をも買収の対象となつた土地であると誤認してこれを他に売り渡しし、原告の占有を奪つたのであり、本件土地の売渡を受けた者等は二年間にわたつて不法占有を続けながら投げやりな経営に終始して遂には本件土地を荒地としてしまつたのである。本件土地がもともと原告において開墾したものであるのに、現在荒地となつてしまつたとすれば、その責は一に耕作者等を指導した府、あるいは直接監督指導の立場にあつた平尾村農業委員会にある、原告が本件土地の耕作を継続することを不可能ならしめておき、また自からこれを荒地と化せしめておきながら、今になつて現況荒地であり未墾地であると主張することはとうてい許されないところである。
よつて本件買収計画ならびに訴願の裁決の取消を求めるため、本訴を提起する。」
被告等は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、次のように答弁した。
「一、原告主張の一の事実は認める。
二、本件買収計画および訴願の裁決は適法である。
(一) 本件各土地は現況未墾地であつたから、平尾村農業委員会は自創法第三〇条、第三八条により本件買収計画を樹てた。
昭和二三年九月一日付農林次官通達「未墾地買収に関する件」により一団地一〇町歩の未満の地区で市町村農地委員会が未墾地買収計画を樹てようとする地区については、予め各地方事務所単位に未墾地買収予定地審査会を設置し、その審議を経て適地と決定されたものでなければ買収してはならないと指示され、翌二四年一月一八日付農林次官通達「開拓適地選定の基準」により、開拓適地調査の方法、適地の基準等が明示された。右基準に基づき、本件未墾地買収計画樹立にあつて、平尾村農業委員会は昭和二六年一二月三日適地調査を実施してその報告書(乙第二、三、四号証)を南河内未墾地買収予定地審査会(以下審査会というう)に提出した。審査会は右報告書に基づき、同月一四日、本件土地が総合的に見て開拓適地であることを認めたが、なお一部分につき傾斜度が前記適地基準に適合しないものがあつたので、この部分については前記昭和二四年一月一八日の通達第一七の二により、大阪府知事は農地局長に対し例外容認の申請をなすべきものと判定した。大阪府知事は右審査会の判定に従つて本件土地の状況を検討した結果、農地局に例外容認の申請をすることに決し、昭和二七年一月七日付で京都農地事務局経由農林省農地局宛開拓適地選定基準の例外容認申請をなし同年三月三日付認可されたのである。
右のような手続によつてなされた本件買収計画は適法である。
(二) 乙山および字阿弥山三三八四番地、山林八畝二一歩の各土地については昭和二二年に大阪府農地委員会が訴外西川善橘(前所有者)を所有者として未墾地買収計画を定め、これに基づいて買収処分がなされたが、そのうち右三三八四番地の一筆が既墾地であつたことが後に判明したので、先に買収した土地全部について昭和二六年七月に買収令書が取り消された。そして訴外西川善橘宛に取消通知済である。このように前回の買収処分は適法に取消されたから、平尾村農業委員会は、既墾地である前記三三八四番地を除いて、乙山のほか甲山をも併せて本件買収計画を定めたのである。
(三) なお、本件買収計画は、甲山につき訴外喜田卯一郎を乙山につき訴外西川善橘を各所有者としてなされたが、原告において異議、訴願を尽しているし、買収令書は原告を所有者として発行され、原告に交付されているから買収計画が本件所有者の表示を誤つた瑕疵は治ゆされたと解すべきである。
以上のように本件買収計画は適法であつて取り消されるべきかしはない。よつて原告の訴願を棄却した裁決もまた適法である。」
(証拠省略)
理由
一、原告主張の一の事実は当事者間に争いがない。
二、そこで、本件土地がいわゆる未墾地であつたかどうかを検討する。
(一) 成立に争いのない甲第四号証、第七号証の一ないし三、第一一号証の一、二、原告本人尋問の結果によつて成立を認めることのできる甲第六号証の一ないし九、第八号証の一、二に、原告本人尋問の結果、証人宮瀬清、同奥井秀夫、同杉村敏夫(第一、二回)の各証言ならびに検証の結果を総合すると次のような事実を認めることができる。
「原告は昭和一三年頃から自家農園の経営を計画し、同一五年頃に農園用地の一部にあてるため本件乙山および平尾村字阿弥山三三八四番地山林八畝二一歩を訴外西田善橘から、その後同一九年頃に右乙山と地続きの本件甲山を訴外喜田卯一郎から、それぞれ買い受けた。右買受当時乙山は樹令一五年ないし二〇年位の松林で、甲山も乙山よりかなり疎らであるが樹令一〇年ないし一五年位の松林であつた。本件各土地ごとの境界は判然としなかつたが、甲山と乙山とでは松の成育状況がかなり違つていたし、両山の間には小径があつたので、甲山と乙山との区画は大体可能であつた。原告は戦争中で燃料不足であつた折から、昭和一九年から二〇年頃にかけて本件各土地の松の伐採を始め、終戦当時には乙山の三分の二程度の松を伐つてしまい、甲山は疎林であつたから少しづつ間引くうちにほとんどこれを伐採してしまつていた。そのうちに、戦後食糧難は一そう激しさを加えるにおよび、原告はいよいよ本格的に本件土地を開墾するの必要にせまられ、昭和二一年になつて原告は大阪府立農芸高等学校長宮瀬清等の指導のもとに計画をねつた結果甲山は傾斜もゆるくすでにほとんど松の伐採を終えて、松の根堀りをした跡へ桃の木を植えればよいばかりの状態であつたから、そのままこれを果樹園として利用することにし、乙山は北と西の傾斜の急なところを除いて開墾し、畑として利用することに具体策を決定した。そして右計画にそつて昭和二一年春頃から本格的に開墾事業に着手し、常時二〇名前後の人夫を入れて開発を進めた結果、昭和二二年秋頃には甲山、乙山とも松の根を堀り起し、乙山は開発可能面積のうち約六割については畝をたて、甘藷等を栽培し収穫を得るまでになつていた。その後昭和二四年頃になつて原告はさらに計画につき検討を重ね、この際先の計画を一部変更して本件各土地を全部果樹園とすることに決め、乙山の一部は畝をたてることなくそのまま残して、昭和二五年春から果樹園の計画を実行に移すべく準備していた。
一方、本件各土地のうち乙山および前記字阿弥山三三八四番地の各土地について、大阪府農地委員会は昭和二二年一二月、右各土地が訴外西川善橘(右各土地の所有者)の所有にかゝる、自創法第三〇条第一項第一号のいわゆる未墾地であるとして右西川に対し買収計画を定め、その頃、右買収計画に基づいて大阪府知事は右各地の買収処分をした(この点については当事者間に争いがない。)うえ、これを訴外山口四郎等十数名の者に売り渡した。ところが本件各土地についてはその境界が判然としなかつたゝめか、右買収、売渡処分において、本件甲山の部分も乙山および前記字阿弥山三三八四番地のうちの一部であると誤認され、昭和二五年一月頃に、国から売渡を受けたと称する右山口四郎等十数名の者が本件各土地に入つて耕作を始めめ、甲山の部分をも含めて原告の占有を奪つてしまつた。そのため、原告は本件各土地に立ち入ることができなくなつて、やむなく耕作従業員を引きあげることになり、本件土地の開発、耕作事業は性折してしまつた。
しかしながら、原告は、本件土地が右のようにすでに開墾されていたのであるから右大阪府知事のなした買収処分は違法であるとして、早速大阪府当局に事態の善処方を求め、種々曲折はあつたが結局昭和二六年七月一〇日本件土地について大阪府農地委員会は先になした買収計画が、未墾地でなかつたものを未墾地として買収計画の対象とした点で違法であつたことを認めて買収計画取消の決議をし、大阪府知事はこれに基づいて翌七月一一日先の買収処分(買収令書)を取り消した。
ところで、本件各土地には、前記のように国から土地の売渡をうけた山口四郎等十数名が昭和二五年一月頃に入山し、それぞれ耕作、開発に着手したのであつたが、そのうちに次々と耕作を廃止する者が現れたゝめ、昭和二六年に先の買収処分が取り消された頃には、訴外山口四郎が甲山の一部に桃の苗木を植えていたほかは本件各土地はほとんど荒地と化し、笹やすゝきが一面に茂つて乙山の畑の畝もほとんど跡を残さない状態になつてしまつていた。」
右認定に反する証人河合善彦、同浅田義守、同青木弥太郎、同高岡栄治、同山口四郎、同斎木 亮の各証言部分によつては右認定をひるがえす心証を惹かないし、その他右認定を左右する証拠はない。
(二) ところで、成立に争いのない乙第一号証ないし七号証は証人青木弥太郎、同高岡栄治、同斎木 亮の各証言、検証の結果を総合すると、平尾村農地委員会は先になされた買収処分が取り消された後、こんどは甲山をも合わせて本件各土地についてこれを未墾地として買収計画を定めることを考慮し、昭和二六年一二月、本件各土地を調査して報告書を作成し、南河内未墾地買収予定地審査会にこれを提出してその審議を求めた結果、同審査会は同月一四日、本件土地は傾斜度の点を除いては総合的に見て開拓適地であると認定し、右傾斜度の点については昭和二四年一月一八日付農林次官通達一七条の二による例外容認の申請をすべきものと判定したこと、大阪府知事は右審査会の判定に基づき直ちに右例外容認の手続をとつた結果、昭和二七年三月三日付でこれが認可されたこと平尾村農地委員会は右審査会の判定に基づき昭和二六年一二月二〇日、買収の時期を昭和二七年三月一日として本件各土地につき買収計画を定めたこと、これを要するに、本件各土地は、すでに荒地と化した昭和二六年一二月当時の現況においては、自創法第三〇条第一項一号にいわゆる未墾地であつて農地の開発に適すると判断される状態にあつたことを認めることができる。右認定に反する証拠はない。
三、以上認定のように、本件各土地は昭和二二年頃にはほとんど既墾地化され、耕作の目的(畑ないしは果樹園として)に供しうる状態になつていて昭和二五年初まで原告においてすでに一部を現実に耕作に供していたのであるが、昭和二二年頃、乙山および字阿弥山三三八四番地の各土地が訴外西川善橘所有の未墾地であると誤認されて違法な買収処分がなされ、これに続く違法な売渡処分によつて国から売渡を受けたものが本件各土地を占有して、原告の占有が奪われた結果本件各土地は原告の責によらない事由により、昭和二六年末頃には再び荒地と化してしまい、その現況においてはいわゆる未墾地と認められる状態になつたのである。すなわち、本件買収計画当時において、本件各土地が未墾地の状態を呈するに至つたのは、まさに先になされた違法な買収処分に由来するのである。
一般に自創法によつて買収手続がなされる場合、買収の客体たるものゝ買収適性(たとえば農地であるとかか、農業用施設であるとか、あるいは本件のようにいわゆる未墾地であるとかの要件を満たすこと)は各手続の段階において具備されておれば足りる。このことは一般に行政処分の行なわれる場合に通じていえることの自創法上の買収手続への応用にすぎない。このような一般論からすれば、本件買収計画および訴願の裁決は、その当時において本件土地が自創法第三〇条第一項にいわゆる未墾地であつたのであるから、いずれもこの点に関する限り適法であるといわざるをえないであろう、しかしながら本件の場合のように、本件各土地が一旦既墾地として利用されたものでありながら、本件買収計画当時再び荒地となり、未墾地となつた事由が、原告の責に帰すべからざるものであるばかりか、先になされた違法な買収処分に原因するとすらいえるのに、なおかつ現況が未墾地であるとの理由で本件買収計画および訴願の裁決が適法であると結論することはとうてい正しい解釈とは考えられない。
思うに、行政処分においても信義誠実の原則は個々の法文を越えた根本的な法原理であることには変りはない。先になされた違法な行政処分によつてもたらされた事実を盾に後の行政処分が行なわれるというようなことが許されないことは信義誠実の原則に照らしても明らかなところといつてよいであろう。このように後になされた行政処分の適法性の外見が先になされた違法な行政処分(故意になされたものであれ、過失によつてなされたものであれ)に負うものである場合は、後になされた行政処分は、その外見的な適法性にかゝわらず、その実質において違法であると解さなければならない。
本件買収計画は、現況未墾地に対するものであるにかゝわらず、その未墾地となつた事由が先になされた違法な買収処分によるものであるから、結局違法であると解するのが相当であり、したがつて原告の訴願を棄却した裁決もまた当然違法であるといわなければならない。
よつて原告の本件請求は理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条第九三条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 平峯隆 中村三郎 上谷清)
(別紙目録省略)